意識高い系な人は、その発言だけをみると意識が高い人に見えます。
ただ、意識高い系な人に実際に取り組んでいることについて聞いてみると、始めた理由に疑問が湧くことが多く、そういった人の話に付き合わされることは人によってはかなりの苦痛となりえます。
そして、意識高い系な人は、実力があったり、苦痛を伴う行動をするわけではなく、周りからすごいと思われる人になりたい意識だけが背伸びしてしまっています。
また、わざわざ使わなくてもいいビジネス用語を使ったり、実際の行動が伴っていないのに「今、〇〇に取り組んでいて」とドヤ顔でいわれるとどうして自分に対してこんなに上から目線で話かけてくるんだ?と思うものですよね。
ただ、意識が高く、成長欲求が強いこと自体は何も悪いことはなく本来素晴らしいことだということは勘違いしていただきたくありません。
意識が高いことをネタにする風潮が日本にはありますが、、、
真に意識が高い人からすると、意識高い系という言葉が台頭してきたことでいらぬ被害にあうのははた迷惑な話ですよね。。
そこで今回は、意識高い系な人に注目をし、本当に意識が高い人と何が違うのかについて書きました。
それでは、いってみましょう!
意識高い系な人と本当に意識が高い人の決定的な違いとは?
冒頭でも述べましたが、意識が高いこと自体は決して悪いことではなく、むしろいいことです。
ただ、周囲の人たちに対してマウントを取るような言い方をしてしまうと
「あの人、大したことないのになんでこんなに偉そうにしているんだろう」
といったように周囲にいる人を不快にさせてしまう可能性があります。
これは、その人がやろうとしていることがその人自身のスペックに合っていなかったり、不相応なことを言っているなと思うためです。
このように、その人の実力と言っていることの間に差が大きいと、周囲にいる人たちは、その人に対して悪い印象を持ってしまいます。
また、やっている理由については意識高い系な人は、
これをすれば周囲からすごいと思われるだろう
といったことや、
楽に稼ぐことができそうだから
といった動機が多いように感じます。
これは、始めようとする動機が、
自分の内面と向き合って出てきたものというわけではなく、
他人からすごいと思われることをすることで自身では満たすことができない承認欲求を満たそうとするためで、
世間がよしとしているものに自分を合わせていくことで安心をしようとしているのです。
もちろん、金銭欲求がものすごく強い人であれば、始めは上記のような動機で始めたとしても突き抜けられる人も中にはいるでしょう。
ただ、やった割に成果が見合っていない場合には、ほとんどの人たちは楽に稼げると思って始めたのに全然じゃないかとなり、早々に撤退をしてしまいます。
このように、自分の中での行動をする原動力が明確でなければすぐに辞めてしまいます。
そのため、何をやっても中途半端になるので、意識高い系な人は、色々手を出しはしたけどいつまでたってもこれといった成果を出せない人となってしまうのです。
一方で、真に意識が高く、発言が分不相応だと思われない人についてですが、、、
そもそも実力があります。
そしてその上で、自分自身が信じていることや大切にしていることに脇目も振らずに取り組んでいるのです。
当然ですが、自分自身が信じることが明確になると、モチベーションは必然的に上がり、高いモチベーションは継続を後押しします。
また、なぜやっているのかに関しては、自分が思い描くなりたい自分像に近づくためです。
このように、真に意識が高い人は、承認欲求を他者に求めるのではなく、自分自身に求めています。
また、自分に求めている基準はかなり高いため、その基準を満たすために日々行動をすることで、いつしか周囲の人を置いてきぼりにしているのです。
おわりに
ここまで、意識高い系な人が周りの人からウザがられるのかについて書いてきましたがいかがでしたでしょうか。
しかし、まだまだ意識高い系な人と真に意識が高い人の違いが分かりにくい方も多いかと思います。
そこで、今一度考えてみて
「意識高い系な人の特徴と真に意識が高い人との違い」や「本当に意識が高い人が実践している3つのこと」
については別の記事にて書いてみます。
完成次第アップするので、ぜひそちらの記事も見てみて下さい^^